「Another Mama’s Song」 その@


「なあ、剛(つよし)」
 ある麗らかな土曜の午後。俺の部屋に突然父さんが入ってきた。俺はお気に入りの音楽を流したまま、振り向く。父さんは何やら神妙な面持ちだ。
「んっ? どうしたの?」
「剛。ちょっと音楽止めてくれ。最近のロックはうるさい」
「ああっ‥‥」
 俺は音楽を止める。何だか、いつもの父さんとは雰囲気が違う。ピリピリしている。部屋が静かになる中、父さんはベッドに腰掛けた。俺はじっと父さんの顔を見る。
「で、何なわけ?」
「美和子(みわこ)、まあ、母さんなんだが‥‥不倫してないか調べてくれないか?」
「‥‥はっ?」
 父さんの言葉に、俺は思わず目が点になってしまった。言っている意味が分からなかった。
「なっ‥‥何言い出すんだよ、突然」
「真剣な話なんだ」
 父さんは煙草に火をつける。そして、ゆっくりと煙を吐き出す。
「美和子は夫の俺が言うのも何だと思うが、美人だと思うんだ。もう43なのに、まだムラムラする。おっぱいも大きいし」
「息子の前で、んな事言うな」
「それが無かったら、お前は生まれてなかったんだぞ」
「‥‥それって嫌な嫌な言い方だな。で?」
「でだ。その美和子が最近よく外出するんだ。お前も知ってるだろ? その時の美和子の顔は凄く嬉しそうだ。俺は‥‥不倫なんじゃないかって思う」
「‥‥」
 俺は父さんの言っている事がまったく理解できなかった。母さんが不倫? 何言ってんだ、この人は。確かに普通の43歳よりかは若く見えるが、それでも不倫なんて考えられない。考えすぎだ。
俺は首を横に振った。
「んなわけないじゃん。だって、43だぜ。もう恋とかって歳じゃないだろ?」
「お前に美和子の魅力が分かってたまるか!」
「じゃあ自分で調べろよ!」
 強く言うと、父さんは急にしおらしくなる。
「‥‥なあ、頼むよ、剛。俺は怖くて調べられないんだぁ」
 父さんは何とも頼りなく、俺の手をとった。俺は困った顔になってしまう。にわかに信じられない話だし、第一、そんな探偵みたいな事できるわけが無い。
「俺、探偵じゃないし無理だよ。直接聞くのが一番いいって」
「それができれば剛を巻き込んだりしてない。ほら、お前の彼女、名前は何て言ったっけ? 美希(みき)ちゃんだっけ? あの子の父親、確か探偵やってなかったか? 是非頼んでくれよ」
「‥‥よく知ってんな。一言も言った記憶無いんだけど」
「そんな事はどうでもいいから、とにかく頼むよ」
 父さんはそう言って、俺の手をまた強く握った。


「はい。ご飯」
「うい」
 夕食。母さんが大きなハンバーグを俺の前に出した。俺はそれを受け取る。その隣では父さんがハンバーグをほおばっている。
 テーブルにはハンバーグとサラダ、白米が置いてある。部屋の隅ではテレビがバラエティ番組を映している。何の変哲も無い、一般家庭の夕食風景だ。
 だが、俺は何だかその光景に溶け込めないでいた。理由は勿論母さんだ。
俺こと北川剛はごく普通の高校2年生だ。そんな俺の父さんが隣にいる卓也(たくや)。44歳。細身に眼鏡、一言で言うなら頼りない父さん。
「今日は美味しくできたのよ。どう、卓也(たくや)」
「うん。美味しいよ」
「良かった」
 そんな父さんの妻、つまり俺の母親、美和子。父さんの1つ下の43歳。少し染めた茶色のロングヘアーが印象的な、しかしこれもまたどこにでもいそうな主婦だ。エプロン姿ももはや見慣れた。
 父さんは美人だと言った。実の息子の俺が言うのも何だが、確かにまあ、そうだと思う。俺を生んだというのに体型はまったく崩れず、由美かおるみたいだ。胸だけなら由美かおるを超えてるとも思う。顔は田中美佐子に近いかもしれない。髪型も似てる。
「んっ? どうしたの?」
 母さんが俺の視線に気づく。俺は慌ててハンバーグを口に詰め込んだ。
「いや。何でもない」
「そう? 変なの。そう思わない? 卓也」
「そうか? 普通だと思うけどな」
 父さんは母さんに視線を合わせず言った。母さんは小首を傾げ、ハンバーグを口にした。
 父さんと母さんがどんな風にして出会ったのか、それは詳しくは知らない。でも、はっきりと言えるのは、今でもとても仲がいいという事だ。今でも互いを「父さん、母さん」ではなく「卓也、美和子」と呼び合う。夜まで仲がいいかは、知りたくはないが。俺と母さんの仲も悪くない。普通、俺ぐらいの年頃は反抗期というのがあるらしいが、俺の場合は不思議と無かった。つまり、俺の家庭は非常に円満だという事である。
「あっ、そうだ。卓也」
 母さんが父さんを見る。父さんの眉がピクリと反応する。
「何だ?」
「私、明日の日曜日、出かけるから。朝食は用意するけど、昼食は適当にとってね」
「どこ行くんだ?」
「ちょっと友達とね」
 母さんはどこか嬉しそうな顔をして言った。俺はテレビを見ながらハンバーグを飲み込む。
 今まで母さんがよく外出していたか、それはよく覚えていない。興味の無い事なんて、案外覚えていないものだ。だが、最近の母さんはよく出かける。どこに出かけるのかは知らない。父さんの収入は安定しているばずだから、パートに出る必要は無い。
 父さんが不安になるもの、分からなくはない。
「剛もお昼は適当にね。って、明日は美希ちゃんとデートだっけ?」
「うん。そのつもりだよ」
「そう。良かったわ」
「‥‥」
 ‥‥良かったってどういう意味だ? 息子が彼女とデートする事がそんなにいい事なのか? 悪くはないと思うが、良かったと言う母親もいないだろう。
 母さんの言葉一つ一つが怪しく感じられる。だが、今ここでその事を聞く事は出来なかった。さすがに食卓で「母さん、不倫してるの?」とは聞けない。
 不思議な空気が流れたまま、夕食の時間は過ぎていった。


 次の日、母さんは朝早くから出かけてしまった。綺麗に化粧をして、服装はジーンズにセーターというちょっとラフな格好だった。
 母さんが出かけたのを見届けてから、俺は彼女である美希の家に足を運んだ。
「えっ? 剛のお母さん、不倫してるの?」
 開口一番、美希は驚いた顔をした。短めの髪の毛がピョンピョンと跳ねる。
 美希の失礼な言い方に、俺は俯く。可愛いし、俺には勿体無いくらいの彼女だが、遠慮が無いのがたまに傷だ。
「かもしれない。確信は無いけどな」
 美希とは高校で同じクラスになり、2人して似たような音楽を聞く事から付き合いだした仲だ。2人共洋楽のロックが大好きで、よくライブに行ったりする。そんな彼女の父親は探偵業を営んでいる。家自体が事務所になっていて、美希に会いに行くと必ず客と間違われるのが難点だ。
「でも、剛のお母さんって凄く美人だもんね。言い寄る男がいたっておかしくないよ」
「おい‥‥。変な事言うなよ」
「本当だってば。剛、知らないでしょ? 剛のお母さんって、近所のおじさん達の中では人気者なんだよ。狙ってる人、結構いるんだから」
「ほっ‥‥本当か?」
「うん。剛はいっつも一緒にいるから、お母さんの色気が分からないんだよ。おっぱい大きいし」
 美希は自分の体を触りながら答えた。意外だった。まさかそれほど母さんに熱い視線が浴びせられていたとは。これは、少し本気で考えないといけないかもしれない。
「で、おじさん。話を戻しますけど、この頼み、聞いてもらえます?」
 俺は美希を押しのけ、彼女の父親に言った。美希とはあまり似ていないごつい男の人だ。だが、目元なんかは美希そっくりで、好感が持てる。美希の父親は頬を掻く。
「できなくはないが、金がかかるぞ」
「‥‥いくらぐらいですか?」
「1日3万だ。手がかりを掴めるのがいつになるか分からないから、いくらになるかは分からない。が、仮に一週間だとしたら、21万だ」
「たっ、高い‥‥」
 父さんから貰った金額は5万だった。だとしたら、1日しか頼めない。1日で証拠など掴めるのだろうか‥‥。第一、不倫ではなかったら勿体無い。
 俺が迷っていると、美希の父親は美希の頭を乱暴に撫でた。
「剛君。娘に頼んだらどうだい?」
「えっ?」
「まあ、練習と言ったら失礼かもしれないが、不倫の仕事はそう難しくない。美希でもできなくはないと思うんだ。それに、美希は見習いだからタダだよ」
「‥‥」
「話は全部聞かせてもらったが、私がやると嫌でも近所の噂になってしまうぞ。それが原因で夫婦仲が悪くなる事も考えられる。娘なら、そんな心配はいらない」
「‥‥」
 俺は美希を見る。確かに美希の父親は探偵として近所では有名だ。不倫調査なんてしたら、変な噂が立ちかねない。その点、美希なら心配無い。もっとも、美希にできるのかどうか不明だが。美希はにんまりと笑い、小さな胸をポンと叩いて見せた。
「いいじゃない。ねえ、剛、私と一緒にやりましょ!」
「お前にできるのか?」
「父さんの仕事をずっと見てきたのよ。簡単よ。それに、私ならタダだし」
「タダか‥‥」
 タダという言葉に惹かれる。それに自分の母親だ。できる事なら、他人にはあまり知ってほしくない。俺と美希だけなら、納得できる。
 俺は顔を上げた。
「よし。美希、お前に頼むよ。勿論、俺も一緒に行くけどな」
「オッケイ! それでさっそくだけど、剛のお母さんは今どこにいるの? 家?」
「いや。朝から出かけたよ。どこに行ったかまでは分からない」
「そっか‥‥。お父さん、こういう時どうするんだっけ?」
 美希は父親の手を取る。
「まずは近辺調査だ。携帯の番号を調べたりするんだ。それに、今回は知人だからな。家の中を調べる方法もあるぞ」
「なるへそ‥‥。じゃ、さっそく剛ん家に行こう!」
 そう言って、美希はスッと立ち上がった。


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